アカルイツキ

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料理の味

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人の作ってくれた家庭料理が、美味しい。

そう思うようになったのは、いつの頃からでしょう?
自分で料理するのが当たり前になると、自分が作った以外のお料理、
お店で食べるような外食ではなくて(外食も好きだけどw)、
顔の見える誰か、が作ってくれた家庭料理を食べると、
それだけで幸せな気持ちになるなーと思う。

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今日は、滋養たっぷりのお料理(写真の料理たち!)をランチでいただく機会に恵まれて、
しかも、味付けはシンプルなのに、本当に美味しくて、至福だなーと思った。

気のおけない仲間と食べると、もっと美味しいし。

気のおけない、というのは、沈黙がつらくない、居心地が悪くないっていう感じ。
私にとっては、沈黙がつらくないって、
結構、本当に最近の体感です(笑)
長いこと、沈黙は、なんとかしなくてはいけない対象だったから。



で、お料理の話。

そのときに、いただいたお料理に、今まで食べたことがない組み合わせの献立があった。
黒豆を使った松前漬けのような料理、と
さつまいもをゆずで煮た料理。

どちらも、入っている素材は全部食べたことがあるけど、
この組み合わせ、味付けでは食べたことがなかったなーというもので
とても美味しくて、何回もお代わりしてしまった(笑)

そのときに、
「こういう発想ができないんだよねー。食べたことがあるものしか作れないの」
とふと、自分の口からでた。

食べたことのある献立や、
料理の本に載っていたものや、
お店で食べてみて美味しかったもの。
そういうのは、適当にアレンジして作れる。
でも、そうじゃないものを作らないんだよねって。


それが、だいぶ後、
夕飯を作っているときに、
違和感を感じてきた。
本当に、そうだろうか?と。
そんなことないなって。

やろうとしてないだけで、
できないわけじゃないって感じ。
すごく、微妙だけど、「できないんだよね」って言うのは違うなって。

やろうとしていない、と言うのも、
やろうと決めてないと言う感じなんだな、きっと。

言葉には言霊があるなと、
最近つくづく感じていて、
違和感がある言葉を使っていると、そのうち、その違和感をかき消して、
言霊がそのまま自分のエネルギーになる。
そんな感じ。

違和感は大事にして、
その違和感の言葉を、よく観察してみると、自分の内側の声につながる。
そんな感じがする。
自分が、自分から外れていると、
違和感も感じられなくなったりするから、
いつでも、自分がどこに在るかを確認して戻るしかないな、と思う。
いま、ここに。


一品献立を失敗したとしても、大したことにはならないから(笑)
今度、チャレンジしてみよう〜。
やったことのない組み合わせで、料理を作ってみるって思うと
結構ワクワクするな〜と思った。

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