第3回学びのシェア会で死生観についての学びをシェアする
先日、仲間とやっている学びのシェア会で、「死生観〜Why me? なぜ私だけが苦しむのか?」についてシェアしました。
H.S.クシュナーさんの「なぜ私だけが苦しむのか」の翻訳をされた斎藤武先生の講義を受けた時の学びをシェアしたのですが、テーマが壮大なので、20分でどうまとめてシェアするか?が難問ではありましたが、なんとか無事に発表〜!
斎藤先生は、日本最初のチャプレン(教会に属さずに組織(病院)で働く牧師さん)として、ホスピスをやってこられた方で、終末期の患者さんに如何に寄り添うか?という視点での講座を以前に受けていて、これがとても心に残っていたので、今回シェアすることにしました。
- 作者: H.S.クシュナー,Harold S. Kushner,斎藤武
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/03/14
- メディア: 文庫
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私は、キリスト教に対して全く疎いので、宗教を持っているというのとないのとではまた世界観が違っているのだと思います。
私が私というフィルターを通して、”死生観” 苦しむ人に如何に寄り添うか?ということをまとめて言葉にしてみたことは、とても大きなチャレンジだったなーと今、振り返り。
自分なりの答えが明確にある、という状態ではなくて、これについてはまだ今後も考え続けていきたい、まだ途中の状態です、だけど私の中に引っかかっていて、誰かに話してみたいと思っているっていう、なんとも中途半端なことをシェアしたんだけど、それを受け入れてもらえる土壌が、学びのシェア会にはあって、それが豊かだなあと感じました。
「なぜ私だけが苦しむのか?」は、善良な人たちに悪いことが起きた時に、人々が「Why me?」と当惑することについて書いてあり、この本を読むだけでも、たくさんの気づきがありました。
「なぜ私だけが苦しむのか?」は、「どうしていつもこんな風になってしまうんだろう」「なぜ私がこんな目に遭うのか」「いつもこのパターンで嫌になる」ということを繰り返してきた私が、持ち続けていた問いでもあり、この問いを持つことは力を奪うことのように思っていたこともあったけれど、それは、ジャッジして答えを出そうとしていたからだなーと思う。
DVや虐待や性暴力の活動に関心を持って取り組んできたことは、この問いと直結しているなあと改めて感じました。
斎藤先生が、講義の最後に
「人間は何万回輪廻転生したとしても、あなたはたった一つ!
人類始まって以来、たった一つの直感で、たった一つの宝なんです。
人類がどんなに進化しても、もう二度と出てこない宝ですよ。」
といった言葉が忘れられない。
今、ここでどう生きるか?というのも、
私たちが、私たちの自由と選択を持っているからできることなのだなあ。
今回の学びのシェア会では3人が発表して、それぞれ、別々に事前に話し合うわけでもなく当日持ち寄り発表したんだけれど、3部作のようにピタッとはまったのも趣深く、楽しかった。
その他のシェアのタイトル↓
「自分の声を録って聴いてみたら案外いいやん♡の話」
「極私的死生観〜私は何のために生まれ、神様はどこにいるのか?」
また次回も楽しみだなー。