【本】死について「「死」とは何か」の読書会に参加して
先日、ABD読書会で「「死」とは何か」」を読んできました。
哲学の本で、なかなか読み解くのが難しい内容なんで、自力で読む自信がなく。
でも、12月は亡くなった大事な人の誕生日があり、死を感じる月でもあって、向き合ってみようかな?という感覚で。
30ページくらいを読んで、B5用紙6枚にまとめるのだけど、今まで何回もABD やったなかで、一番難しかった!!!
自分の解釈はいれずに要約する、のだけど、編集力が問われるなぁとつくづく。
そして、要約は本当に苦手で、カウンセラーの資格をとるときのカウンセリングの実習のときも、何度も指摘された私ではありますが、練習してきた甲斐はあるんだなぁなどと思いました。
その要約を3分でプレゼン。
ちょっと話はずれるけど、ABDは、いろんな能力が発揮できる読書会でもあり、それが面白い。
時間内に読んで、要約して、プレゼンして、ダイアログする。
プレゼンも、最初ははじめの1、2枚で3分経ってしまって、めちゃくちゃ焦ったりしたなぁと。今回、ほぼ3分ぴったりで発表できてやったぁ!と心でつぶやいてみたり。
こうやらなきゃ!はなくて、なんとなくフワッと置いといて、やってみる。
という体験の場でもあります。
さて。
死について。
身近な人の死で、死体が怖くなくなったのが19歳。
死んだことがないのに、なぜ私たちは死は悪いもの、と考えるのか?
友が死ぬ、ということは、二度と触れられないってことで悪いと言えるかも?
死ぬまでの過程で痛みがあったら悪い?
例えば、
①宇宙船に乗って友が旅立った。宇宙船と連絡がとれなくなり、友がいつ帰ってくるかはわからない。
②宇宙船に乗って友が旅立った。宇宙船が爆破し友が即死した。
この2つは、友に会えない、触れられない、会話を交わすことができない、などはまったく同じであるが、人は②のほうが悪いと考える。
という例が書いてあって、そして確かに、①と②は、違うと捉えている私がいるな、と思って、それはなぜか?というようなことを、自分に問う時間になりました。
正解がなくて、わからない、ということに、不快さを感じて、すぐに結論がほしくなる私もいるけれど、
ほんの少し踏ん張って、わからないことを持ったまま、対話してみることができるようにもなって、その先の世界が覗ける楽しさがありました。意識の筋トレ。
参加されたかたたちの、死についてのダイアログがとても豊かで、多様で、本当によい時間だった!!
人は必ず死ぬ。
だけど、死を体験できる人はいない。
死そのものは、体験できないからこそ、永遠のテーマになるんだろうなぁ。