性犯罪をなくすための対話に参加
先日、チーム上谷の「性犯罪をなくすための対話 第9回 性被害・加害から考える児童ポルノ」に参加してきました。
今日は久しぶりに平日夜のセミナー。児童ポルノについて学ぶ。ペドフェリアが一番理解不能なので、けっこう重い。セルフケアして寝よう。#日比谷図書館文
主な内容はこんな感じです。
「児童ポルノ禁止法制定の経緯と現状」(弁護士:上谷さくら)
「小児性犯罪者と児童ポルノ」(精神保健福祉士・社会福祉士:斉藤章佳)
「児童ポルノが子どもにもたらす影響」(公認心理師・臨床心理士:齋藤梓)
登壇者によるディスカッション「児ポを取り巻く法律と心理」
斉藤章佳先生が以前に小児性犯罪は「飼育欲に近い」ということを発表されていて、すごく気になっていて、今回またお話を聞いてきました。
章佳先生の最新刊は、「小児性愛という病ーそれは愛ではない」です。手元にあるけどまだ未読了です。
性暴力、性犯罪は人間の尊厳を著しく損なわせるものだけれど、児童に対するそれはもう本当に人生そのものを壊すことにもなりかねない、重大な犯罪なのに、なぜか日本は「子どもの権利」が最優先になっていない。
児童ポルノは、「表現の自由」との闘いみたいになるんだけど、子どもの基本的人権が侵害されているという観点はどうして抜けるのか?という疑問が私にはあって。
このシンポジウムに参加されてる先生方の話もその観点で聞いていました。
イギリス、アメリカ、ドイツと比べても法整備が日本はかなり、子どもの権利へのケアが不足している感が否めないという話がありました。
その上、裁判官が性犯罪・性暴力に関して被害者側の状態に関する知識が乏しくて、判決がひどすぎる、というのもあるのだけど、そこも、法律がそうなってるから仕方ないという面もあるわけで、政治的な働きかけも大事だよなーと思った。
ということは、誰に投票するか?ということが大切になってくるわけで、自分の声を届けてくれる政治家に一票入れる、ということがおとなの責任でもあるよなーと。
あと、イギリスに視察に行かれた斎藤梓先生の
「おとなは子どもとセックスしてはいけない」
とイギリスでは言い切っている。
「子どもの権利を守る」のがおとな、そんなことをいう人(表現の自由だの類)の話は聞かなくていい
という話もすごく納得感がありました。
章佳先生の話の中に、
「児童ポルノが小児性犯罪への引き金になる」という側面が否定できない
という内容があり、これもすごーーーーーーく腹落ち。
子どもたちへの性教育を寝た子が起こすって言って、まともにやらせないくせに、なぜ児童ポルノで寝た子を起こすのは許されるのか?(しかも起こすのは子どもではなく犯罪・・・)
章佳先生の話の内容は、こちらの記事にも同じようなことが書いてありましたので、関心のある方は読んでみるといいと思います。
子どもへの性被害生む児童ポルノという引き金 | 災害・事件・裁判 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
この問題は、「被害に遭っている子どもがいる」という事実に立って、考えていきたいなあと思っています。
小児への性犯罪は、男児へのものがかなりあります。
男児は、被害と認識できなかったり、認識できても誰にも相談できないということがあったりして、被害の把握が女児よりもさらに難しいそうです。。。
あと、なんでそういうところには日本は甘いの?と思うんだけど、今の児童ポルノ禁止法では、映像(動画・写真)の削除・回収が強制実行できないそうで、被害に遭っている側が「削除するように求める」というのが精一杯で、削除されなくても罰則がないんだって。そんなのありえます?
どんな犯罪にも、自衛には限界がある。
どんなに頑丈な鍵かけてても、強盗が絶対に入らないということは保証できないわけで、鍵をかけ忘れていたから強盗していいってことにはならないのに、なぜ、性犯罪は許されるのであろうか・・・・と、ちょっと絶望的な気持ちになるけど、できることをやっていこうと思います。
今日のところはこの辺で。