アカルイツキ

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トークライブ「あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。」をテーマに語る会をやります

 11月12日(月)13時30分〜 安冨歩さんの著書「あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。」をテーマにして、私が自己嫌悪を手放していったプロセスを語るトークライブをやることにしました。

イベントはこちら↓

トークライブ『「あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。』をテーマに語る

 

最初は読書会にしようかなと思っていたのですが、「生きづらさ」と「自己嫌悪」について、私が語りたいことが次から次に湧いて出てくるので、私が自己嫌悪から抜け出していったプロセスをこの本をテーマに語ってみようと思いつきました。

あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。 他人に支配されず、自由に生きる技術
 

トークライブをやろうと思ったきっかけは、友人のせいこさんにお願いしてやっていただいたオンラインでの「読書会のつくりかた」講座でした。

(せいこさんのブログ↓

こちらは私が参加したものではないけれど、この講座を個別アレンジしていただいた感じ。

主催者の目を持つ(読書会のつくり方講座) - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

参加者2名で、個別のニーズに合わせて90分の濃縮バージョンで受けさせてもらったのですが、これを受けている間に、「ああ、これ(読書会)は私がこの本でやりたいことじゃないわ」と気づいたんですね。

(そして、読書会のひらきかたとしては、この講座を受けてとっても腑に落ちたのでいつかまた別の機械に読書会はやりたいです。)

すごくショートバージョンの実践的な読書会をやってみて、やり始めた瞬間に気づいた。これじゃないと。

そして、私は表現したいのだ、と肚に落ちてきました。

自分の自己嫌悪との長い長い戦いを終えたことを、表現してみたいという感じ。

ただ、話したい、聴いてもらいたいというのとも違う欲求が湧き上がってきました。

というわけで「やりたいから、やってみる」、というのをやります。

 

ここでちょっと話がそれるかもしれないけど、そして一部を切り出すと誤解が起きて、私が誰かを傷つけるかもしれないという恐れも立ち上がってくるのだけれど、私に起こったことを書いてみようと思います。

読書会の講座での実践練習は、実はボロボロでした。これはちょっとないなーと自分でも思ったので、そのフィードバックも率直にそのことを出してくださいました。

その私がもらったフィードバックの中の言葉で、私がその時に一瞬、脳天打ちのめされて、うぎゅーっとなって傷ついた言葉がありました。

そして、それは、そのように意図されて出てきた言葉では全くなく、真摯に真剣によりよい場を作るために見えている事実に対するフィードバックの言葉であることが十分に理解できたし、それに対するフォローもあって、本当に有難いことで、本気で向き合ってくれているからこそ出てくる言葉だったと、とってもとっても感謝しました。

「ありがとうございます」と受け取れた言葉でした。

だから、そのフィードバックや言葉が悪かった、とかではないのです。

でも、その感謝があったからといって、「傷つかなかった」ということにはならない。

その後に、私がやったことは自分を自分で癒すってことでした。

癒すってことは、感謝していることはそのまま脇においといて、傷ついている自分をちゃんと見るってことです。そこにあるものに気づくということです。

ああ、これができるようになった、という私がいて嬉しかった。

そして、夜寝る前に、これは明日の朝起きたら、すっかり回復していると思えた。実際に、朝目覚めたら、スッキリしていて、傷は昨日よりずっと良くなっているし、もう傷でさえないかもしれない。

この健やかさが、自己嫌悪があった時にはほとんど持てなかったと振り返って思いました。

いつまでもいつまでもその傷をジクジクジクジクほじくり回し、何年も何年もその傷を抱えてずっと自分を傷つけている。それが自己嫌悪のなせる技だったと思う。

自己嫌悪が初期値で立ち上がってくるになっている時だったら、

① 傷ついたことはなかったことにして見ない。

② 相手の言葉に対して、自分のできる最大限のポジティブ解釈をする。

③ 相手は私のためを思って言ってくれたのだと脳内インプットする。

④ 私は相手から思われている、と解釈する。(←①のなかったことが強化される)

⑤ 後から(何年も経ってからということもある)、不快であり、見なかったことにしていた傷つきが「忘れてんじゃねーよ」と暴れ出す。

⑥ こんな私はダメだと自己嫌悪する。

⑦ ②〜④を繰り返す。

というような流れが起こっていました。

⑤は、その言葉を放った相手に対する怒りに変換されて出てきたり、あんなことをしてしまった自分はやっぱりダメな人間なんだという自責の念に化けて出てきたり、いろいろパターンがあります。

長年放置していると、傷の回復も遅くなります。。。一つに関わると、芋づる式に出てきたりして。。もはや回復作業には手が回らなくなります。

ちょっとした切り傷だったのに、長年放置したら、膿んじゃって奥の方まで傷みが・・・みたいな感じでしょうか。

 

あと、自己嫌悪があると、①を「傷ついた」としたとしても、それをすごく軽く見積もったり、もしくは傷ついたことにしかフォーカスがいかなくなる、みたいなことが起こります。

傷ついた、と、感謝しているの両方ある、ということに気づけない。その全部に気づけないんです。

 

あるから、あるものを見るだけ。

本当にシンプルだけど、これがものすごく難しい、みたいなこと。

 

そんな話もしたいな〜と考えています。

どんなかたが聞きにきてくださるか、ワクワクしながらお待ちしています!

よかったら聞きにきてください。

 

 

 

 

 

 

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