アカルイツキ

LIVE MY LIFE♡LOVE&JOY 私らしく。あるがままで正直に生きたい人を応援しています。

気づくっていうこと

昨日になりますが、「自分らしく在るためのエネルギーワークの会」を開催しました。

https://www.facebook.com/events/136970143640646/

 

今ここの自分に還る、

あるものはあると気づき、こだわらずに流していく。

そんな体験が訪れた2時間半でした。

参加してくださった方、それぞれに、それぞれの体験があったと思います。

ありがとうございました。

 

今の私の感覚としては、

ぴったりな自分で、まっすぐ正直に、自分を表していくことが

私も周りも喜ぶし、幸せになるんだなーというのがあって。

ぴったりな自分ってなんだ?って感じだけど、

そこに気づくチカラがいるなーと思います。

気づくためには、自分の内側で何が起きているか?

たった今、起きていることに集中してみるのがいいなと思う。

外側に起きている出来事を自分の内側のこととしてみていくっていうことでもあるけど。

でも、一人でやってると、集中するより雑念を追い払うだけで精一杯になったりもします^^;;;

昨日は、参加者の皆さんと、ただただ気づいて、

そして、それにこだわらずに手放して(勝手に手ばなれる感じで)流れていく

という体験があって。

最初は表面的に気づいていたものが、

だんだん奥深くの固まっていたものに届いて

溶けて開いて、流れるような感じでした。

 

毎回、その場に来てくださる方との共創なので、

同じ場は一回としてなくて。

昨日は、私にとっても、本当に豊かで、善い時間になりました。

 

その人なりのプロセスを進むので、

全員が同じ感覚で同じ体験になることはないわけですが、

今日のこの体験が、この後歩いていく人生のプロセスの中で、

何か気づいていくきっかけになるかもしれないと思います。

 

私自身も、その時には全然理解できなかったこと、

気づかなかったことに

半年以上経ってから、ようやく気づいて、

ああ、そういえば、あの時、こんな風に言われてたな、

これがそれか!と気づいたりしていて。

知って、理解してから進む、というのはできなくて、

体験して、プロセスが訪れてから、理解できるんだなと。

だから、とにかく、わからないけど、こっちだと思う道を進んでみるしかないんだなって。

 

わからないことが怖い、と、

とにかく知ってから、理解してから、

と知識ばかりをつけようとしていたこともあったけど。

そして、知識も、最初のチカラではあるので大切なんだけど。

 

足踏みばかりしていて、もう飽き飽きしていて。

一歩、踏み出してみる。

もう一歩、進めてみる。

 

その一歩を踏み出せるのは、「今ここ」なんだと思います。

 

30日にも、ワンデーの会を開催をします。

https://www.facebook.com/events/164703217625822/

立春前の大事な時期。

人との関係性、コミュニケーションの中で、気づいていくことができる、そんな時間になるんじゃないかなーと思っています。

 

ただ、在ることを在る、とみる。

気づいたまんまでいる。

受け取って、受け容れる。

自分のスペースを空けて、

そのスペースに何を響かせるか。

 

今、そんな感じです。

 

 

 

****現在、募集中の講座・WSのご案内****

 

 

130日(火)10:0015:00

「自分らしく在るためのエネルギーワークの会」(ワンデーver.

https://www.facebook.com/events/164703217625822/

 

222日(木)~225日(日)

ママのためのリトリート~本来の自己と信頼を生きる~

https://www.facebook.com/events/192836201286752/

 

 

 

キャンドルダンス

https://www.instagram.com/p/BeAzPRtDs_N/

#candle dance #Shakti #bliss

通っているシャクティダンスのクラスで、
今月はキャンドルを持って踊るキャンドルダンスをやっている。

キャンドルの炎は、自分の内面を照らしているようで、
神聖な気持ちや、祈りや、真実につながる、というような気持ちになる。

 

キャンドルを持って、ただ相手のエネルギーを感じながら、
ともに踊っていると、肉体の自分が溶け出して、ゆるりと混ざる感覚になる。
なんとも言えない、至福の時間。

喜びが内側から、湧いて出てくる感じ。

湧いて出てきたエネルギーが、甘いしっとりとした感じになって、

とっても心地よかった。

今ここにいて、peacefulな瞬間。

 

 

mayuminaba.hatenablog.com

 

肉まんを食べて、喜びに溢れることを書いたけど。

またそれとは違う質感の喜び。

 

喜んでいることを、無意識に抑圧してきたなあと思う。

喜んだり、楽しんだり、嬉しい気持ちを。

 

どんな時でも、どんなことにも、

喜んでいいし、それを表現してもいいのだと思う。

表現するかしないかは選べるし、

表現しないを選んでいるならそれでもいいんだけど。

 

喜んでいることそのものを否定してなかったことにしてきたな、と思う。

いや、割と、喜んでキャーキャー言ってる方だと思うんですが。

それでも、「ここは喜んでいいところじゃない」と、

湧き出てる喜びをなかったことにしてたなあ、と思う。

 

楽しんでいいし、

喜んでいいし、

嬉しがっていいのだ。

 

だって、あるから。

あるなーって感じていられる私でいよう〜。

 

 

 

****現在、募集中の講座・WSのご案内****

 

<<主催イベント>>

119日(金) 13:00~15:30

「自分らしく在るためのエネルギーワークの会」(ショートVer.

https://www.facebook.com/events/136970143640646/

 

130日(火)10:0015:00

「自分らしく在るためのエネルギーワークの会」(ワンデーver.

https://www.facebook.com/events/164703217625822/

 

222日(木)~225日(日)

ママのためのリトリート~本来の自己と信頼を生きる~

https://www.facebook.com/events/192836201286752/

 

 

 

よろこびにあふれる


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友人のお家で開催された、肉まんを作る会に参加してきました。



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包む作業ってなんて楽しいのでしょう〜。


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蒸したての湯気ほやほや。

美味しかった!

美味しいものを食べる瞬間、喜びにあふれているなあと感じる。

目の前にした時、ほおばった時、

ぱあっと広がる喜び。その顔。

ああ、いいなーと思う。

 

肉まんを作りながら、いろんな話をして、気づきが開いていく感じが
本当に豊かな時間でした。

やっぱり、手を動かしながら、話す時の無防備な感じがいいんだなあ。
話すことにマインドが働かない、というか。
そんな感じなのかも。
手を動かす手順にマインド使ってるからw

私のセッションを受けてくれてる友人の一人がくれた
その後についてのフィードバックがとても嬉しいもので。 
セッションを受けてる時には、「はあ?」って内心思ってたけど
後から、じわじわ「やっぱりそうか!」って気づいて、

そしたらその後、現実が変わったという話。
よかったねえ〜とみんなで喜び合って、
それでやっぱり真理は、ここだよなーって思う。
現実が変わったことがよかった、というわけではなくて。

主催してる講座やワークショップでも、そういう感想をもらうことが結構ある。
その瞬間に、頭では理解できてなくても、だんだん浸透してくる感じ。
ああ、自分にあるなあーこれっていう鏡が現れてくる感じ。
あなたが私で、私があなたなんですよねえ。

 

鏡の中の自分を先に変えることはできないように、

外側の世界を先に変えることはできないんだなと思う。

鏡に映っている、自分そのものをただ見ていくことができると、
それだけで鎧が落ちていくように、鱗が落ちていくように、

鏡に映る自分が変わるんだなーって。

 

やっぱり、何か作りながらやるダイアローグをやりたいなー。
リトリートに行っても、
一緒に何かをやりながらする会話が本当に好きなんですよね、私。

今年は、なんかわからないけど、やりたい!みたいなことを
どんどんやってみようと思ってます。

 

****現在、募集中の講座・WSのご案内****

 

<<主催イベント>>

119日(金) 13:00~15:30

「自分らしく在るためのエネルギーワークの会」(ショートVer.

https://www.facebook.com/events/136970143640646/

 

130日(火)10:0015:00

「自分らしく在るためのエネルギーワークの会」(ワンデーver.

https://www.facebook.com/events/164703217625822/

 

222日(木)~225日(日)

ママのためのリトリート~本来の自己と信頼を生きる~

https://www.facebook.com/events/192836201286752/

 

 

気仙沼に行ってきました

3泊4日で気仙沼で開催されたアザーサイド・パフォーマンス・リトリートに行ってきました。

気仙沼の唐桑というところにあるつなかんという旅館でのリトリートで、つなかんを訪れるのは昨年10月の気仙沼リトリート以来、2回目。

つなかんに行ったら、なんだか帰ってきたような気になった。

 

寒いけれど、美しい自然の中で、緩んでくつろいで、

どこか不思議なゆらぎの中にいるような、

時空を超えているような、スローな感じのテンションで、

イマココにいる自分を確認して、再発見して、再確認する旅になったな、と思う。

 

リトリートに参加するのは、4回目になるんだけど、
毎回、全く違う旅になるし、当たり前だけど、毎回違う体験が訪れる。

 

今回も、今のこのタイミングで、この主催と参加者メンバーだからこそ、
起きた体験の経験が、

本当に「Re-Treat」(ちょっといいものを取り戻す)だなあと思っていて、

なんというか本当に豊かで、日常では得難い体験が毎回あって、

そして、これが真理だよなってところにたどり着くような、

そんな感じ。

 

どこからどうアプローチしても、結局はそこにたどり着くんだなと思う。

その道のりがそれぞれのジャーニーでもあるし、
今同じ時に生きている”私たち”のジャーニーでもあるんだなって思った。

”真理の探求”は、ずっと続くんだなーと言う実感とともに、

それが楽しみにもなってきた今日この頃。

 

怖くて、不安を抱えながら歩いても、

ワクワクドキドキを楽しみながら歩いても、

同じことなら、

ワクワクしながら進んでいくことを選ぼうって思う。

いつも、イマここで選べるのは自分だってことだなーと。

そして、ともに歩いている仲間もいるし、

それは、距離や時間や場所は全く関係なくて、

魂で繋がっているんだってことだよねっていうこと。

 

帰りの新幹線で、前に、

「私と言う人に対するインスピレーションを言葉で渡す」と言うワークをした時に

もらった言葉を思い出した。

『喜びと共に在る』

私の今のテーマ感、これです!

 

初夢で、「Joyなんだよ」っていうのが出てきたのも、きっとこれだわ(笑)

と言うことにしておこう〜。

 

3日ぶりに、帰宅すると、5歳の娘がドラクエを自分で出来る様になっていた(笑)

子どもの進化はよっぽど早い!w

 

ご案内になりますが、

”つなかん”は、また帰りたくなる場所で、

2月にママのためのリトリートを主催します。

今から、楽しみで、準備する時間も本当に豊かな経験です。

 

 

 

 

 

****現在、募集中の主催イベント・講座・WSのご案内****

119日(金) 13:00~15:30

「自分らしく在るためのエネルギーワークの会」(ショートVer.

https://www.facebook.com/events/136970143640646/

 

130日(火)10:0015:00

「自分らしく在るためのエネルギーワークの会」(ワンデーver.

https://www.facebook.com/events/164703217625822/

 

222日(木)~225日(日)

ママのためのリトリート~本来の自己と信頼を生きる~

https://www.facebook.com/events/192836201286752/

 

料理の味

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人の作ってくれた家庭料理が、美味しい。

そう思うようになったのは、いつの頃からでしょう?
自分で料理するのが当たり前になると、自分が作った以外のお料理、
お店で食べるような外食ではなくて(外食も好きだけどw)、
顔の見える誰か、が作ってくれた家庭料理を食べると、
それだけで幸せな気持ちになるなーと思う。

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今日は、滋養たっぷりのお料理(写真の料理たち!)をランチでいただく機会に恵まれて、
しかも、味付けはシンプルなのに、本当に美味しくて、至福だなーと思った。

気のおけない仲間と食べると、もっと美味しいし。

気のおけない、というのは、沈黙がつらくない、居心地が悪くないっていう感じ。
私にとっては、沈黙がつらくないって、
結構、本当に最近の体感です(笑)
長いこと、沈黙は、なんとかしなくてはいけない対象だったから。



で、お料理の話。

そのときに、いただいたお料理に、今まで食べたことがない組み合わせの献立があった。
黒豆を使った松前漬けのような料理、と
さつまいもをゆずで煮た料理。

どちらも、入っている素材は全部食べたことがあるけど、
この組み合わせ、味付けでは食べたことがなかったなーというもので
とても美味しくて、何回もお代わりしてしまった(笑)

そのときに、
「こういう発想ができないんだよねー。食べたことがあるものしか作れないの」
とふと、自分の口からでた。

食べたことのある献立や、
料理の本に載っていたものや、
お店で食べてみて美味しかったもの。
そういうのは、適当にアレンジして作れる。
でも、そうじゃないものを作らないんだよねって。


それが、だいぶ後、
夕飯を作っているときに、
違和感を感じてきた。
本当に、そうだろうか?と。
そんなことないなって。

やろうとしてないだけで、
できないわけじゃないって感じ。
すごく、微妙だけど、「できないんだよね」って言うのは違うなって。

やろうとしていない、と言うのも、
やろうと決めてないと言う感じなんだな、きっと。

言葉には言霊があるなと、
最近つくづく感じていて、
違和感がある言葉を使っていると、そのうち、その違和感をかき消して、
言霊がそのまま自分のエネルギーになる。
そんな感じ。

違和感は大事にして、
その違和感の言葉を、よく観察してみると、自分の内側の声につながる。
そんな感じがする。
自分が、自分から外れていると、
違和感も感じられなくなったりするから、
いつでも、自分がどこに在るかを確認して戻るしかないな、と思う。
いま、ここに。


一品献立を失敗したとしても、大したことにはならないから(笑)
今度、チャレンジしてみよう〜。
やったことのない組み合わせで、料理を作ってみるって思うと
結構ワクワクするな〜と思った。

父のこと

 

 

私は、20代の頃から長年、父と折り合いが悪かったので

(今は和解した。と言っても、和解しましょう、と手を握ったとかいうわけではなくて、私の内側の変化により、関係性が変わったという感じ)

もし、結婚するなら、父と正反対の人としよう、と若い時に誓っていたことを思い出した。

父と正反対とは、穏やかで(父は暴力的なタイプ)、

頭がよく(父は学歴がなかった)、

私のやりたいことにウンウンとやらせてくれて(父は何もかも許可が必要だった)、

知ったかぶりをしない人(父はわからない、知らないと言うのが死ぬほど嫌いで、知らないことにものすごい屁理屈を言ってそれを強引に通す人だった)

というような感じ。

結婚しないかもなーと思っていた時も長かったけど(笑)

運よく、37歳の時に今の夫と結婚して、2人の子どもにも恵まれた。

 

そして、先日実家に帰った時に、思った。

ああ、そうか、と。

父と正反対の人と結婚しよう、と心に刻んでいたから、この現実になっていると。

 

夫は、たまに、友達に「ダンナさん、カミですか?」と言われてるくらいでw(もちろん神ではないけど)

私がやりたい放題やらせてくれるし、

滅多なことで怒鳴り声をあげるようなこともなく、

義母によると学生時代の成績もかなり優秀だったらしいし、

割と、夫として、申し分のない人だと思う。本当に。

 

父とは正反対だなと。

 

だから、手先は器用でなく、車は運転できず、マメにいろんなところへ連れて行ってくれることはなく、「それやったことないからわからない」と言ってわからないことをやらないんだな、と。

(夫のそれが嫌だと言うのではないのです。念のため。)

 

私が、父の良いと思っていたところも全否定していたんだな、と気づいた。

 

父は、手先が器用で、なんでも自分で作った。

子供の時に使っていた、小さな椅子も机も、父の手作りだった。お金がないのもあったけど。

エアコンを取り付けるのも、父が一人で全部やっていた。普通は、電気屋さんに頼むのだと知らなかったw

車で日本中をどこでも旅するのが好きで、休みのたびに連れ出してくれた。

出かけた時に美味しいお店をどこからか調べてきて(インターネットとかない時代で、父に雑誌を読む習慣はなかったのに、どうやって調べていたのだろうか。)、美味しいものを食べさせてくれた。

夏休みに帰る田舎がないから(東京の下町生まれだったので)と、田舎っぽいところに連れて行ってくれたなあ。

キャンプして、バーベキューして、川で泳いだり。川下りのボートにもいろんなところで乗った。

そして、サバイバルナイフ1本で、父はなんでも作れた。

火を起こして、風除けを作って、テントを張って、、、お父さんに頼めば、なんでも大抵なんとかなった。

毎日、夕食までに帰ってきて、家族でご飯を食べた。

そういう、ちょっと嫌にも思うけど、本当はよかったもの。

ちょっと嬉しかったこと。

お父さんすごいね、と友達に褒められて、内心ちょっと自慢に思ったこと。

みたいなことを、キレイさっぱり忘れて、やられた嫌なことにばかりフォーカスしていたんだなと思った。

恥ずかしくて、隠しておきたいこととして。

どうしても許せないと、許せないことにこだわり続けて、他のことがわからなくなってしまったんだなって。

 

 3歳の息子が、「パパはヒーローだもん!」と言う。

毎日のようにイタズラされてパパに泣かされてるくせにw

「パパはヒーローだから大好き」と言う。

そうか、パパはヒーローなんだね、君には。

私にもそういう時期があったのだろう、きっと。

 

大嫌いだけど、大好き、というようなこと。

どっちもあるし、どっちでもいいのだ。

 

 

「守る人々」

為末大さんのブログが好きで、いつも読んでるのだけど、今日の「守る人々」を読んで思うことがあったので、書いてみる。

 為末さんのブログはこちら↓

http://tamesue.jp/blog/archives/think/20180107

 

為末さんのいう「守る人々」、過去の自分に照らして、いろいろ思い当たる(^^;
いや、今もはまるときがあるなーと思いながら読んだ。

 

「俯瞰してみる」、というのが難易度が高かったように思う。


自分という存在を勘違いし、無視してたから。

他者の評価が、生きるすべてだと、
想像力は有限になっていることに気づけない。

「他者の評価という枠にはまってる私」を観れないから。

 

守ってる間は、純度高いエネルギーが動いてないっていう感じ。

 

でも、必要があって、「守る人」になったわけで、守る人々がダメなわけではなくて、
ただ、そうなんだなってことで、今はそれを選んでるってだけってことかな、と思う。

 

私は守る人でいると、

自分の妄想で疲れて、

それだけにエネルギー使ってる感じがする。


そこにいると気づいたら、別の選択ができると思い出せばよくて、
だんだん、守る人でいることが、自分ではないし、自分のエネルギーや感覚がずれていることを教えてくれるようになる。

 

自分から、または周りから、批判のエネルギーを感じるときは、大抵、守ってる。


何から自分を守っているのか?

見失ったら、また、探せばいい、くらいな感じで気楽でいけばいいか。

 

 

 

© 2018-2020 akaruitsuki/Mayumi Inaba